2009年 12月 06日
California Shower__渡辺貞夫
2009年は私にとって生涯忘れられないだろう素晴らしい出来事が年末に訪れた。湘南ベルマーレ(サッカー Jリーグ 旧ベルマーレ平塚)のJ1リーグへの昇格である。苦節11年。本当に、文字通り歓喜の昇格だ。
何を隠そう、私と長男はガチガチのベルマーレサポータである。共に昇格決定の瞬間を水戸のケーズデンキスタジアムで目撃した。とにもかくにも、しんどいゲームだった。昇格争いが佳境となったこの一ヶ月は、仕事も手につかず胃がキリキリしていたというのに、全てを決める最終戦でいきなり前半で0-2のビハインドである。2点目を入れられた時は失神しそうになり、『帰ろうかな』と正直思った。しかし、直ぐに同点に追いつき、後半には勝ち越し点を決め、そして89分に歓喜の瞬間を迎えた訳だ。まさに今年の湘南を象徴するような、素晴らしい粘りの戦いだった。全体を通してプレーの質は低かったが、前半は各選手が緊張でガチガチなのが手に取るようにわかるくらいだったから、まあしょうがないだろう。とにかく、選手、スタッフそして我々サポータすべてにおいて、2009年12月5日は忘れられない一日となったのである。
サッカー観戦は贔屓チームを持つことが最も重要である。これがないと力が入らない。日本代表の人気がフラフラするのはコアなサポータが存在しないからだ(日本国民が全員サポータ候補だからね)。一方、Jリーグのクラブは、正に地域密着型の活動を主体にしているから、サポータとして強力に感情移入しやすい。サッカーに興味のない人から見れば、各クラブの熱烈サポータの姿は異常に見えるだろう。これは、阪神に代表されるプロ野球にも同様な要素があるが、サッカーはその度合いが強い。私は子供のころに地元にプロのスポーツ組織が全くなく、トラキチのようなファン意識を持てる環境をとても羨ましく思っていた。幸い、結婚して引っ越した神奈川県平塚市に1994年に日本リーグのフジタを母体とした『ベルマーレ平塚』が誕生し、一気にベルマーレサポータの道を歩み出したのである。ベルマーレはJリーグ参加直後に非常に攻撃的なスタイルで『湘南の暴れん坊』として恐れられ、1997年のフランスワールドカップアジア地区最終予選の時点では、中田、ロペス、小島、ホン・ミョンボなどの代表クラスを多数擁する強豪だったのだ。
しかし、平成大不況によりスポンサーのフジタが本業の業績不振を理由に1998年に撤退。そして、主力選手を大量放出せざるを得なかった1999年はわずか4勝しか出来ずに、浦和レッズと共にJ2に降格した訳だ。直ぐに復帰できると言われていたが(なにせ名門だから・・)、結局10年間の長きに渡ってJ2にとどまった訳である。これはJ1復帰期間としてはJリーグ最長だ。一方、同時に降格したレッズは翌年直ぐに昇格して、一気にトップチームに駆け上がったのだ。当初はお荷物クラブと言われていたレッズがトップチームに変身したのも、J2降格の屈辱をバネにしたからである。
レッズはわずか1年だが、ベルマーレは10年である。選手、スタッフそして我々サポータにとっては、降格をバネにするどころか、はっきり言ってクラブ存続を心配しつつの苦悩の10年間だったと言えよう。『湘南化(→かっての名門が落ちぶれること)』『勝難ベルマーレ』などと馬鹿にされつつ、サポータは必死に応援してきたのだ。そして、多くのサポータが去っていった。多くのスポンサーが去っていった。しかし、今こうして昇格の喜びを味わえるのは、厳しい10年間を耐え続けた関係者の努力の結果である。本当に嬉しい。競技場で人前をはばからず泣けるというのは実に良いものである。
来年はJ1だ。当然、ベルマーレは最有力のJ2降格候補である。しかし、戦力はともかく、今のベルマーレは10年前の半分抜け殻となって降格したベルマーレとは全く違う環境にある。私はきっとJ1残留するだろうと信じているのだ。
・・・・・と書いてきて、音楽情報ブログであることを思い出した。今回はどうでも良いという気分だが、ベルマーレのテーマを作曲してくれた渡辺貞夫オヤジのカリフォルニア・シャワーを紹介したい。購入は1978年。素晴らしいアルバムである。以上。
いやー、本当に良かったですね。実にメシがうまい。
何を隠そう、私と長男はガチガチのベルマーレサポータである。共に昇格決定の瞬間を水戸のケーズデンキスタジアムで目撃した。とにもかくにも、しんどいゲームだった。昇格争いが佳境となったこの一ヶ月は、仕事も手につかず胃がキリキリしていたというのに、全てを決める最終戦でいきなり前半で0-2のビハインドである。2点目を入れられた時は失神しそうになり、『帰ろうかな』と正直思った。しかし、直ぐに同点に追いつき、後半には勝ち越し点を決め、そして89分に歓喜の瞬間を迎えた訳だ。まさに今年の湘南を象徴するような、素晴らしい粘りの戦いだった。全体を通してプレーの質は低かったが、前半は各選手が緊張でガチガチなのが手に取るようにわかるくらいだったから、まあしょうがないだろう。とにかく、選手、スタッフそして我々サポータすべてにおいて、2009年12月5日は忘れられない一日となったのである。
サッカー観戦は贔屓チームを持つことが最も重要である。これがないと力が入らない。日本代表の人気がフラフラするのはコアなサポータが存在しないからだ(日本国民が全員サポータ候補だからね)。一方、Jリーグのクラブは、正に地域密着型の活動を主体にしているから、サポータとして強力に感情移入しやすい。サッカーに興味のない人から見れば、各クラブの熱烈サポータの姿は異常に見えるだろう。これは、阪神に代表されるプロ野球にも同様な要素があるが、サッカーはその度合いが強い。私は子供のころに地元にプロのスポーツ組織が全くなく、トラキチのようなファン意識を持てる環境をとても羨ましく思っていた。幸い、結婚して引っ越した神奈川県平塚市に1994年に日本リーグのフジタを母体とした『ベルマーレ平塚』が誕生し、一気にベルマーレサポータの道を歩み出したのである。ベルマーレはJリーグ参加直後に非常に攻撃的なスタイルで『湘南の暴れん坊』として恐れられ、1997年のフランスワールドカップアジア地区最終予選の時点では、中田、ロペス、小島、ホン・ミョンボなどの代表クラスを多数擁する強豪だったのだ。
しかし、平成大不況によりスポンサーのフジタが本業の業績不振を理由に1998年に撤退。そして、主力選手を大量放出せざるを得なかった1999年はわずか4勝しか出来ずに、浦和レッズと共にJ2に降格した訳だ。直ぐに復帰できると言われていたが(なにせ名門だから・・)、結局10年間の長きに渡ってJ2にとどまった訳である。これはJ1復帰期間としてはJリーグ最長だ。一方、同時に降格したレッズは翌年直ぐに昇格して、一気にトップチームに駆け上がったのだ。当初はお荷物クラブと言われていたレッズがトップチームに変身したのも、J2降格の屈辱をバネにしたからである。
レッズはわずか1年だが、ベルマーレは10年である。選手、スタッフそして我々サポータにとっては、降格をバネにするどころか、はっきり言ってクラブ存続を心配しつつの苦悩の10年間だったと言えよう。『湘南化(→かっての名門が落ちぶれること)』『勝難ベルマーレ』などと馬鹿にされつつ、サポータは必死に応援してきたのだ。そして、多くのサポータが去っていった。多くのスポンサーが去っていった。しかし、今こうして昇格の喜びを味わえるのは、厳しい10年間を耐え続けた関係者の努力の結果である。本当に嬉しい。競技場で人前をはばからず泣けるというのは実に良いものである。
来年はJ1だ。当然、ベルマーレは最有力のJ2降格候補である。しかし、戦力はともかく、今のベルマーレは10年前の半分抜け殻となって降格したベルマーレとは全く違う環境にある。私はきっとJ1残留するだろうと信じているのだ。
・・・・・と書いてきて、音楽情報ブログであることを思い出した。今回はどうでも良いという気分だが、ベルマーレのテーマを作曲してくれた渡辺貞夫オヤジのカリフォルニア・シャワーを紹介したい。購入は1978年。素晴らしいアルバムである。以上。
いやー、本当に良かったですね。実にメシがうまい。
by crossovermiddle
| 2009-12-06 23:11
| 音楽全般