2009年 10月 30日
渚のダンスパーティー__少女隊
相変わらず大阪にいるのだが、先日知人から「お前のblogの右上の画像は一体何なんだ?」とのクレームがついた。クレームをつけられる筋合いはないので、「竜宮の使い」と呼ばれる深海魚の画像であることを告げたのだが、はなはだ呆れられてしまった。自分のblogのチャーミング画像に、グロテスクな深海魚と自転車が大きさ比較されている画像をアップする奴の気が知れない・・という事なのだろうが、深海魚が好きなのだからしょうがない。しかも、深海魚は暗い海の中で人知れず頑張って生きているのだから、せめてBlogの画像くらいにはアップロードしてあげても良いのではないかと思うのだ。
深海魚と言えば、最近の雇用環境は極めて厳しいことが連日報道されている(深海魚とどういう関係があるのだ?という質問は却下)。特に、私が現在滞在している大阪地区は中小企業が多いことも相まって大変なことになっている。大阪にはかの有名な「西成」地区と呼ばれる無法地帯があるのだが、ここは日本の雇用が抱える様々な問題の正に縮図となっている地域である。ネイティブの大阪人にとっては「絶対近寄ってはダメよ」という地域であるらしい。私は過去何度か足を踏み入れたことがあるし、この地域にある格安ホテルに一週間程度宿泊したこともあるのだが、それを聞いた大阪の知人が呆れかえっていた。ともかく、雇用状況の悪化に伴いこれから年末にかけてかなり危険な場所になりつつあるようだ。私に対する表敬訪問のために来阪する方は、このあたりには近づかないことをお勧めする。
さてこのような混沌した状況のなかで今回御紹介するのは、我が神奈川が生んだスーパーアイドルグループ 少女隊の「渚のダンスパーティー」である。この曲ですね。購入は1985年。実に素晴らしい曲だ。少女隊は知る人ぞ知るアイドルグループであるが、彼女たちの当時の活動内容を明確に記憶している人は少なくとも私の周りにはいなかった。ジャニーズ事務所に少年隊と呼ばれる超有名アイドルグループが存在したが、それとは全然関係はないのである。「そんなB級マイナーアイドルグループを30年近くも経って語るんじゃねー」と怒られそうだが、実は80年代のアイドル史を語る上で、彼女達は非常に重要なポジションに位置づけられていたのだ。・・なんて、偉そうな事を言って気が引けるが、実はそうなのである。
まず、彼女たちは当時ブームとなった「超高額プロモーションアイドル」のはしりなのだ。一説によると、デビュープロモーションに50億円かけたそうである。このようなプロモーションを展開した例としては、「セイント・フォー」や「工藤夕貴」なんかもありましたね。しかし、残念な事に少女隊もセイントフォーも結局ブレークせず、高額な投資がまったく実を結ばずに事務所が倒産するなど大変なことになったのである。はっきり言って馬鹿である。とはいえ、なかなか戦略的な仕掛けが幾つもあった。それが第二弾の特徴である「最小限露出戦略」である。つまり、露出を最小限にして話題性を高めようという戦略で、この手法は実は今でもメジャーな戦略として芸能界では幅を効かせているのだ。しかし、元祖「最小限露出戦略」を巧みに展開した少女隊ではあったが、戦略が洗練されていなかったこともあって「最小限露出→忘れ去られる」という何とも情けない状況に陥ってしまったのだ。はっきり言って馬鹿である。「これは大変マズイ」ということで最少露出戦略を180度変更して、「おれたちひょうきん族」等に積極的に出演するようになり、徐々に人気が高まりピーク時にはTBS「ザ・ベストテン」にまで出演することができたのだ。知らなかったでしょ?そして第三の特徴が、「グレータアジア戦略」である。少女隊は韓国で活動が認知された初めての日本人芸能人として後世まで語り継がれるべき偉業を成し遂げているのだ。今でこそ、アジア地区で絶大な人気を誇る芸能人は多いが、1980年代の当時としては画期的なことであった。この流れは今の韓流ブームにも通じるものがある。いやー、実にたいしたものではないか。
そのような輝ける実績を有していながら、人々の記憶に残っていない彼女たちは極めて気の毒であると私は思う。私が大好きだったメインボーカルの安原麗子さんはその後は大変な苦労をしつつ芸能界を生き抜いている。芸能界で成功するのは本当に大変なことなのだ。
深海魚と言えば、最近の雇用環境は極めて厳しいことが連日報道されている(深海魚とどういう関係があるのだ?という質問は却下)。特に、私が現在滞在している大阪地区は中小企業が多いことも相まって大変なことになっている。大阪にはかの有名な「西成」地区と呼ばれる無法地帯があるのだが、ここは日本の雇用が抱える様々な問題の正に縮図となっている地域である。ネイティブの大阪人にとっては「絶対近寄ってはダメよ」という地域であるらしい。私は過去何度か足を踏み入れたことがあるし、この地域にある格安ホテルに一週間程度宿泊したこともあるのだが、それを聞いた大阪の知人が呆れかえっていた。ともかく、雇用状況の悪化に伴いこれから年末にかけてかなり危険な場所になりつつあるようだ。私に対する表敬訪問のために来阪する方は、このあたりには近づかないことをお勧めする。
さてこのような混沌した状況のなかで今回御紹介するのは、我が神奈川が生んだスーパーアイドルグループ 少女隊の「渚のダンスパーティー」である。この曲ですね。購入は1985年。実に素晴らしい曲だ。少女隊は知る人ぞ知るアイドルグループであるが、彼女たちの当時の活動内容を明確に記憶している人は少なくとも私の周りにはいなかった。ジャニーズ事務所に少年隊と呼ばれる超有名アイドルグループが存在したが、それとは全然関係はないのである。「そんなB級マイナーアイドルグループを30年近くも経って語るんじゃねー」と怒られそうだが、実は80年代のアイドル史を語る上で、彼女達は非常に重要なポジションに位置づけられていたのだ。・・なんて、偉そうな事を言って気が引けるが、実はそうなのである。
まず、彼女たちは当時ブームとなった「超高額プロモーションアイドル」のはしりなのだ。一説によると、デビュープロモーションに50億円かけたそうである。このようなプロモーションを展開した例としては、「セイント・フォー」や「工藤夕貴」なんかもありましたね。しかし、残念な事に少女隊もセイントフォーも結局ブレークせず、高額な投資がまったく実を結ばずに事務所が倒産するなど大変なことになったのである。はっきり言って馬鹿である。とはいえ、なかなか戦略的な仕掛けが幾つもあった。それが第二弾の特徴である「最小限露出戦略」である。つまり、露出を最小限にして話題性を高めようという戦略で、この手法は実は今でもメジャーな戦略として芸能界では幅を効かせているのだ。しかし、元祖「最小限露出戦略」を巧みに展開した少女隊ではあったが、戦略が洗練されていなかったこともあって「最小限露出→忘れ去られる」という何とも情けない状況に陥ってしまったのだ。はっきり言って馬鹿である。「これは大変マズイ」ということで最少露出戦略を180度変更して、「おれたちひょうきん族」等に積極的に出演するようになり、徐々に人気が高まりピーク時にはTBS「ザ・ベストテン」にまで出演することができたのだ。知らなかったでしょ?そして第三の特徴が、「グレータアジア戦略」である。少女隊は韓国で活動が認知された初めての日本人芸能人として後世まで語り継がれるべき偉業を成し遂げているのだ。今でこそ、アジア地区で絶大な人気を誇る芸能人は多いが、1980年代の当時としては画期的なことであった。この流れは今の韓流ブームにも通じるものがある。いやー、実にたいしたものではないか。
そのような輝ける実績を有していながら、人々の記憶に残っていない彼女たちは極めて気の毒であると私は思う。私が大好きだったメインボーカルの安原麗子さんはその後は大変な苦労をしつつ芸能界を生き抜いている。芸能界で成功するのは本当に大変なことなのだ。
by crossovermiddle
| 2009-10-30 23:22
| 音楽全般