2004年 11月 23日
Chicago Transit Authority___Chicago
シカゴのデビューアルバムである。購入は1975年7月初旬。これははっきり覚えている。実は、シカゴは最初に来日記念のベストアルバムを購入したのだが、それですっかりはまってしまい、結局は「来日記念ベストアルバム(1973年購入)」→「ChicagoⅤ(1974年購入)」→「ChicagoⅥ(1974年購入)」→「ChicagoⅦ(1974年購入)」と購入することになったのだが、2枚組である本アルバム~サードまでは資金難で手が出なかったのだ。したがって、やっとの思いで購入した時のことは今でも覚えているのである。
さて久し振りにライナーノーツを読んだが、ずいぶん肩に力が入った内容である(原稿の日付は1969年7月18日→アポロ11号の前か?)。当時のシカゴのデビューの衝撃がいかに大きかったかがわかる。デビューアルバムから連続3作が2枚組なのだから驚きだ。しかも、4作目に当たる「ライブ・アト・カーネーギホール」は4枚組である。さすがにこれは全く手が出なかった(演奏も少々荒かったのも難だったが・)。
さて本作はまさに衝撃のデビューを飾ったシカゴのエネルギーが集約された素晴らしい内容になっている。
A面1曲目を飾る「イントロダクション」から素晴らしい。この曲を聴いた瞬間にシカゴにはまるのである。中盤のトロンボーン、トランペットソロの部分のバックアレンジはなかなかだ。私はシカゴのサウンドの特徴の一つはピート・セトラのベースラインにあると思っている。ボーカリストとして有名になってしまったが、彼の生み出すベースラインは本当に素晴らしいと思うのだ。2曲目の「一体現実を把握しているものはいるだろうか?」も良い。しかし、曲名が凄い。当時、反体制バンドのレッテルを何となく貼られていたせいかこんな感じの曲名ばかりだ。3曲目の「ビギニングス」に関するライナーノーツの曲解説は何だかさっぱりわからない。ノーツを書いている北山幹雄氏は少々入れ込み過ぎだ。
B面1曲目の「クエスチョンズ67/68」は私が初めて耳にしたシカゴの曲である。間奏のアレンジが実に秀逸である。2曲目の「リッスン」は地味だが、テリー・キャスのストラトキャスターの音が異常に伸びるのである。当時、どうやって音を作っているのか不思議だったものだ。3曲目の「ポエム58」は冒頭のテリーキャスのサイドギターが実に格好良い。この人は本当にリズム感が良いなあ。惜しい人をなくしたものだ。そして、彼の自己顕示欲丸出しのリードギターが延々と続いたあと曲調が一転してボーカルがメインとなるが、非常に緊張感の高い演奏である。
C面1曲目の「フリー・フォーム・ギター」は、本アルバム唯一の失敗作であろう。余りにも実験的過ぎるのだ。いくらテリー・キャスと言えどもこれは勘弁して欲しい。2曲目の「サウス・カリフォルニア・パープルズ」は比較的地味な曲で、非常にブルースロック色の強い曲である。テリー・キャスの曲かと思ったら、ロバート・ラムの曲であった。3曲目は唯一のカバーである「アイム・ア・マン」である。ライナーノーツの曲解説がこれまた入れ込み過ぎである。この人の文章は本当にヘンテコリンだなあ。さて演奏はスピード感一杯の実に素晴らしいものであり、バンドとしての演奏能力の高さを確認することができる。
D面1曲目は「1968年8月29日 シカゴ 民主党大会」。凄い曲名である。と言うか、正確にはこれは曲ではなくて、当時の民主党大会の騒動をプロデューサであるウイリアム・ガルシオが現場録音して、その中のシュプレヒコールをうまく次曲の「流血の日」の導入部分に使ったと言うものである。当時としてはこのような手法が結構たくさんあった。2曲目の「流血の日」はボーカルアンサンブルを重視した非常に素晴らしい曲である。当時はシカゴのメンバーになりきって、レコードに合わせて歌ったものだ。そしていよいよ本アルバムの最後の曲である「解放」である。ライナーノーツの曲解説がまた笑える。曲は15分強にも及ぶインストロメンタルであり、シカゴの楽器奏者としてのクオリティーの高さが伺える。特に、テリー・キャスのギターソロは特筆すべき素晴らしい演奏であり、ほとんど彼の独壇場と言った様相である。彼のギター奏法とトーンの選び方は非常に特徴があり、他に類を見ないオリジナリティーが溢れている。彼独特のスケールによる早弾きギターはシカゴのセールスポイントだった。だいたい、彼はベンチャーズのノーキー・エドワーズがフェバリットギタリストだというのだから変わっている。とにもかくにも惜しいギタリストを亡くしたものだ。
・・・とまあ、ここまで書いてきて疲れた。こと、シカゴの話になると力が入ってしまう。なにせ、私の青春を飾ったバンドだけに思い入れが強いのだ。えらい長いエントリーになってしまった。ちなみに私は昨年の1月に生まれて初めてシカゴのライブを見たのだ。高校生の頃に熱中したバンドのライブを、すっかり中年になってから初めてに見ると言うのも感慨深いものがあった。まわりは米国人(らしい)と私と同じようなオッサンばかりである。実に楽しかった。
さて久し振りにライナーノーツを読んだが、ずいぶん肩に力が入った内容である(原稿の日付は1969年7月18日→アポロ11号の前か?)。当時のシカゴのデビューの衝撃がいかに大きかったかがわかる。デビューアルバムから連続3作が2枚組なのだから驚きだ。しかも、4作目に当たる「ライブ・アト・カーネーギホール」は4枚組である。さすがにこれは全く手が出なかった(演奏も少々荒かったのも難だったが・)。
さて本作はまさに衝撃のデビューを飾ったシカゴのエネルギーが集約された素晴らしい内容になっている。
A面1曲目を飾る「イントロダクション」から素晴らしい。この曲を聴いた瞬間にシカゴにはまるのである。中盤のトロンボーン、トランペットソロの部分のバックアレンジはなかなかだ。私はシカゴのサウンドの特徴の一つはピート・セトラのベースラインにあると思っている。ボーカリストとして有名になってしまったが、彼の生み出すベースラインは本当に素晴らしいと思うのだ。2曲目の「一体現実を把握しているものはいるだろうか?」も良い。しかし、曲名が凄い。当時、反体制バンドのレッテルを何となく貼られていたせいかこんな感じの曲名ばかりだ。3曲目の「ビギニングス」に関するライナーノーツの曲解説は何だかさっぱりわからない。ノーツを書いている北山幹雄氏は少々入れ込み過ぎだ。
B面1曲目の「クエスチョンズ67/68」は私が初めて耳にしたシカゴの曲である。間奏のアレンジが実に秀逸である。2曲目の「リッスン」は地味だが、テリー・キャスのストラトキャスターの音が異常に伸びるのである。当時、どうやって音を作っているのか不思議だったものだ。3曲目の「ポエム58」は冒頭のテリーキャスのサイドギターが実に格好良い。この人は本当にリズム感が良いなあ。惜しい人をなくしたものだ。そして、彼の自己顕示欲丸出しのリードギターが延々と続いたあと曲調が一転してボーカルがメインとなるが、非常に緊張感の高い演奏である。
C面1曲目の「フリー・フォーム・ギター」は、本アルバム唯一の失敗作であろう。余りにも実験的過ぎるのだ。いくらテリー・キャスと言えどもこれは勘弁して欲しい。2曲目の「サウス・カリフォルニア・パープルズ」は比較的地味な曲で、非常にブルースロック色の強い曲である。テリー・キャスの曲かと思ったら、ロバート・ラムの曲であった。3曲目は唯一のカバーである「アイム・ア・マン」である。ライナーノーツの曲解説がこれまた入れ込み過ぎである。この人の文章は本当にヘンテコリンだなあ。さて演奏はスピード感一杯の実に素晴らしいものであり、バンドとしての演奏能力の高さを確認することができる。
D面1曲目は「1968年8月29日 シカゴ 民主党大会」。凄い曲名である。と言うか、正確にはこれは曲ではなくて、当時の民主党大会の騒動をプロデューサであるウイリアム・ガルシオが現場録音して、その中のシュプレヒコールをうまく次曲の「流血の日」の導入部分に使ったと言うものである。当時としてはこのような手法が結構たくさんあった。2曲目の「流血の日」はボーカルアンサンブルを重視した非常に素晴らしい曲である。当時はシカゴのメンバーになりきって、レコードに合わせて歌ったものだ。そしていよいよ本アルバムの最後の曲である「解放」である。ライナーノーツの曲解説がまた笑える。曲は15分強にも及ぶインストロメンタルであり、シカゴの楽器奏者としてのクオリティーの高さが伺える。特に、テリー・キャスのギターソロは特筆すべき素晴らしい演奏であり、ほとんど彼の独壇場と言った様相である。彼のギター奏法とトーンの選び方は非常に特徴があり、他に類を見ないオリジナリティーが溢れている。彼独特のスケールによる早弾きギターはシカゴのセールスポイントだった。だいたい、彼はベンチャーズのノーキー・エドワーズがフェバリットギタリストだというのだから変わっている。とにもかくにも惜しいギタリストを亡くしたものだ。
・・・とまあ、ここまで書いてきて疲れた。こと、シカゴの話になると力が入ってしまう。なにせ、私の青春を飾ったバンドだけに思い入れが強いのだ。えらい長いエントリーになってしまった。ちなみに私は昨年の1月に生まれて初めてシカゴのライブを見たのだ。高校生の頃に熱中したバンドのライブを、すっかり中年になってから初めてに見ると言うのも感慨深いものがあった。まわりは米国人(らしい)と私と同じようなオッサンばかりである。実に楽しかった。
by crossovermiddle
| 2004-11-23 15:31
| 音楽全般